2015年1月31日土曜日

世界の馬場

1938.1.23 - 1999.1.31

●ポーズ
「あーかこぉなぁ、320ぱうんど~、じゃいあんとぉ~~ばぁ~ばぁ~!」百田義浩が、原軍治が、仲田龍がリング上でコールすれば、ゆっくり両腕を持ち上げ、軽く前に突き出すように振り下ろして応えた世界の馬場。

●最後のリング
昨年の12.5武道館。まさかこの時の試合が最後になろうとは、思いもよらなかった。客席から見る限り、いつもの馬場だった。

●余裕の笑み
かつてのチャンピオン・カーニバルなどで、ジャンボ鶴田と戦う時、「やるじゃねぇか、コイツ」ってニャッとする。これを倉持アナは「余裕の笑み」と表現していた。ちなみに、昨年の5.2ドームで、新崎人生の拝み渡りを受けた後の笑顔は「余裕の笑み」ではない。本当に嬉しそうだった。

●血だるまの馬場
キニスキー、エリック、ブラジル、テキサス・アウトローズのブルーザー&リソワスキー、ブラッシー、ブッチャー&ザ・シーク、そしてブロディ…彼らとの試合で、馬場の額はぱっくり割れる。子供の頃、雑誌「ぼくら」に掲載された衝撃的な「馬場血だるま」写真を見て、馬場の凄さを知った。

写真:A.e.Suck ●親友
若くしてNWA王座についたドリー、キャデラックをプレゼントしたサンマルチノ、全日本の所属選手として協力したデストロイヤー。夢タッグを組んだ大巨人アンドレ。そしてハンセン。好敵手は親友だ。義理堅く友情を重んじる。

●仕掛け
81年の最強タッグ優勝戦。新日本の外人エースであるはずのスタン・ハンセンが、ブロディ・スヌーカ組のセコンドに付き、テリー・ファンクをラリアットでKO。試合を終えた馬場が飛び出し、ハンセンと乱闘。馬場のチョップでハンセンの額が割れ、その威力を再認識。国技館はこのハプニングに凄い盛り上りでその年の最後を飾った!帰宅後見たTVでの馬場のコメントは、「人んちのリングに土足で上がって勝手なことされたんじゃ、たまったもんじゃない!そうでしょ?」と、怒りの表情。TV的な臨場感があった。

●ハンセン
しかし、実際はその年の夏、ハンセンは全日本移籍の契約を済ませていた。ハンセンは新日本との契約が切れるのを待って乱入したわけで、実にスジが通っているのが馬場らしい。この衝撃的な移籍をよりドラマチックに演出して見せた、すべては馬場プロデューサの手腕によるところである。翌年、馬場×ハンセンのPWF戦が実現、東京都体育館を満員にしただけでなく、まだまだ一線でやれる馬場をアピールする好試合となった。

●馬場コール
会場での「ば~ば!ば~ば!」の馬場コールを東京で始めたのは多分私たちが最初だろう。始めた頃は他の観客の笑いを誘ったが、上記ハンセン戦あたりから一般的になった。

●売店
会場のグッズ売店には御大の姿がいつもあった。購入者へのサインや記念撮影にも応じた。

●解説
鶴田にロビンソンが挑戦したUN戦。当時としては珍しく馬場が解説を行った。倉持アナが「鶴田の動きはどうでしょう?」と振れば、「、ぃいんですけどねぇ…さっきジャンボがとびげりやったでしょ、あそこで一気にいかなきゃダメなんですよ、相手が回復しちゃうでしょ、ワザをね、どんどん仕掛けないと。」馬場は名解説者だった。田鶴浜サンや山田サン亡き後、引退しても解説を続けて欲しかった。

●NWA戦
ブリスコに勝って日本人初のNWA王座に就いた。短期間ながら世界最高峰の第49代王者だ。しかし、ベストバウトは名古屋でハーリー・レイスに挑戦し、見事55代王座に就いた試合だ。レイスとの試合はリズムがピッタリ合う。3度の王座がいずれも短期間なのは、世界をサーキットできないためだろう。しかし、我々に大いに感動と満足感を与えてくれた。

写真:A.e.Suck ●世界の馬場
プロモーターとしても世界一流の馬場。NWAチャンピオンやAWAチャンピオンを続々来日させた。馬場が初代王座に就いたPWF王座は、NWAが認可し、その下部組織PWFが認定するものだ。馬場はNWAの主流派として大きな発言権を持ち、副会長まで務めた。米国側との交渉ごとには常に慎重で、リスクもおかさない。その結果はいつも功を奏した。

●必殺技
すれ違いざまのランニング・ネックブリーカー・ドロップ。NWAのベルトは必ずこのワザでフィニッシュ。コーナー・ポストに登ったレイスやフレアーを投げ捨てたデッドリー・ドライブも定番だった。調子がいいときに炸裂するヤシの実割りの二連発。ドロップ・キックも馬場なら「32文ロケット砲」とか「アポロキック」と呼ばれる。

●猪木
新日本プロレスはオポジションの関係にあり、外人引き抜き合戦を含む興行戦争を戦った。対戦を迫る猪木・新間のあらゆる挑発も無視できた馬場は大人だった。力道山入門が1日違いの同期の二人は「寛ちゃん」「馬場さん」と呼び合う仲。BI砲はインタータッグ王者チームとして君臨。馬場と猪木がいれば日本は大丈夫!と思ったものだ。

●馬場イズム
新しい道を切り開くためにはスジを通すことが大切だ。クリアするべきものはクリアしなければ、その先の話はない。また、不確定なことを決して言わない。いい加減な言動や、仮定に基づく話は意味がない。馬場の言葉はすべてが真実。だから誰からも信頼された。

●裏切りを許さない
恩義を重んじる馬場。世話になったことを決して忘れない。日テレに恩義を感じて日プロ離脱。全日旗揚げ時の恩義も忘れない。天龍、カブキ、桜田、小鹿、石川、後藤、ナガサキ、冬木、鶴見、高杉、菅原、栗栖、高野、北原、折原、剛、馬場の付け人だった大仁田と越中。去って行った選手は二度と使わない。

2015年1月18日日曜日

コンビニの接客の違い

近所の2店舗で、レジ待ちの列ができてるときの違い

左:店員がオール日本人で、接客優先。声をかけ合い、自分の作業を中断してでも接客。チームプレイのよう
右:店員がオール外国人で、自分の仕事優先。各自の責任で役割を全うする

2015年1月16日金曜日

スカートめくったが触っていない

福岡県警公安1課の入江雄一元巡査部長(32)は、昨年9月9日夜、飲み会からの帰り道で歩いていた会社員女性(25)の背後からワンピースの裾をめくって急襲。さらに抱きついたり、体を触ったりのやりたい放題。入江元巡査部長のいいわけは、「スカートはめくったが、抱きついたり、体を触ったりはしていない」と無罪を主張。え〜!スカートめくりは無罪ですか?でも防犯カメラに映ってたんじゃないの。しかもこの元巡査部長、捜査費をだまし取る、留置中の容疑者から現金を盗む、勤務中にデリヘル7回の悪徳ぶり。強制わいせつ罪と暴行罪、どっちになるかな〜